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大場冨生/宮澤賢治 作品/雨ニモマケズ/版画/RAIN

design Tomio Oba 大場冨生版画寸法:W39×19cm/額寸法:約W54×34cm(手作りのため多少前後します)木版画(原画を印刷したものになります)、額付き(額裏に飾る際に使用する紐がついています)素材:紙/額素材:杉ニス仕上げ、布(額は大場さんの手作りです)受注生産となっており、ご決済、ご入金後2週間程でお届け致します。

メーカーで欠品の場合はお待ちいただくことがございます(納期は追ってご連絡差し上げます) *出荷は平日のみとなります 本商品はメーカー直送品のため代引きはご利用いただけません。

宮澤賢治に造詣の深い木版画家、大場冨生さんの木版画。

雨ニモマケズ RAIN 復興行。

盛岡生まれ、宮澤賢治に造詣の深い大場冨生さんの木版画です。

「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」より始る大変有名な詩「雨ニモマケズ」を魅力的な版画字、木版画のRAIN 復興行バージョンとして作りました。

宮澤賢治が、花巻の実家に戻って闘病中だった1931年秋に使用していた黒い手帳に記されていたものです。

この手帳は、病に倒れ亡くなった翌年にみつかりました。

情熱というエネルギーで走るバス中には6人の宮沢賢治先生が乗っている。

詩人、音楽家、天文地質学者、童話作家、農業家、教育者、雲の信号に導かれただ我々は新しい時代を作るため前進する。

そのバスの名はRAIN 復興行。

大場冨生僕たちと一緒に行こう、僕たちはどこまでだって行ける切符を持っているんだ(宮沢賢治 銀河鉄道の夜より) 詳細1 詳細2 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲ ジブンヲカンジヨウニ入レズニ ヨクミキキシワカリソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ陰ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボウトヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズサウイフモノニ ワタシハ ナリタイ宮澤賢治と東日本大震災宮沢賢治の生涯は、災害との結びつきがとても強く、生年の明治29(1896)年には、明治三陸地震(大津波)があり、2万2000人の死者が出ています。

(北海道:6人、青森県:343人、岩手県:1万8158人、宮城県:3452人)。

生後5日目には、直下型地震としては東北最大級の陸羽地震が起きました。

賢治27歳の大正12(1923)年には、関東大震災があり、彼の代表作といえる「銀河鉄道の夜」の原稿の裏には、震災の見舞い書簡の下書きが書かれています。

(1924初稿)そして、没年の昭和8(1933)年3月3日には、死者3064人をだした昭和三陸地震(大津波)がありました。

賢治は地震の4日後に、『被害は津波によるもの最多く海岸は実に悲惨です』と東京の詩人宛てに葉書を出していて、その年の9月21日に彼は亡くなりました。

今回の大震災があらためて発生し、人間は自然に立ち向かって生きていかなくてはならない試練を賢治は「雨ニモ負ケズ」という詩で伝えたかったのではないでしょうか。

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